ルールは守るためにあるものじゃない。
私には1歳9カ月の子どもがいます。やんちゃ盛りで、人に反応してもらえることがとても嬉しいようで、色んなことをして反応を求めてきます。反応に対する彼のリアクションもまた可愛いので、つい親の私も過剰な反応をしてしまいがちですが、それが彼を調子に乗らせてしまい、ついやってはいけないことをしてしまうことがあります。もちろん本人にはやってはいけないことだという自覚はありません。私の反応も課題とはなりますが、ここでは「やってはいけない」ということを彼にどう伝えるかが一番の課題となります。
やってはいけない「こと」が重要なのではなく、やってはいけない「理由」が重要。
とは言っても、1歳9カ月の子どもがどこまで理解できているのか?何とも言えませんが、知らないうちに理解ができるようになっていることを考えると、年齢に関係なく間違った伝え方をしてはいけないと思いました。なかなか奥が深いものです。保育士である友人や妻に助言をもらいながら子育てに奮闘中!
それにしても、また新型コロナウイルスの感染者が増加し始めていますね・・・
1人1人が感染防止に対する意識を高め行動することがもっとも重要なことだとは思いますが、なかなかそうもいきません。信憑性は別として、手軽にできることとしては「マスク着用」が思い浮かぶと思いますが、このマスク着用に対する考えも人それぞれ。持病や何らかの事情で着用が難しい方もいらっしゃるので、着用しないことが非常識だとは思いません。しかしながら、厚生労働省で推進されていることもあり、着用派が圧倒的に多いのも事実です。そういった色んな側面を考慮し、施設を運営する側として様々なジャッジをするにあたり、葛藤する日々が続いています。
※現在スタディラウンジでは、施設ご利用中は常時マスク着用のご協力をお願いしています
「シェア」という考えが根本に。
スタディラウンジはシェアであるからこその意味を追求する施設でもあります。空間をシェアすることで、時に背中を押されたり、時に足を引っ張られたり、これもプライベートな空間ではなくパブリックな空間であるが故のことです。
とはいえ、シェアに絶対に欠かせないものが「配慮」です。もちろんこの配慮というものも人それぞれの考え方があるのは当然。配慮に偏りが生じてしまう場合は、少々ハードルは上がり、施設の「ルール」にカタチを変えます。ただし、あまりにもルールが多すぎると雁字搦めになってしまうというネガティブな要素も。そのため運営する側としての本音は、出来る限りそのルールを最小限に留めたいということ。
「なぜこんなルールがあるの?」と常識的に必要のないルールを疑問に思った場合、あなたはその点においては配慮ができている人。逆にルールがあるということは、配慮に至れない人もいるということ。ではもし、そのルールがなければ配慮に至れない人によってシェア空間が乱されてしまうかも?と考えると、どちらかというと配慮ができている人のためのものとしてルールが存在しているということになります。
配慮に至れない → ルール → 配慮 → 良いシェア空間◎
つまり、ルールは守ることが目的ではなく、その先にある目的のためにあるということ。
もし当施設のルールに対し、素朴な疑問を感じた方がいらっしゃいましたら、お気軽にお問い合わせください。真摯にお答えさせていただきます。
皆さんと私たちとで、より良いシェア空間を!